第三文明社

書籍

聴くということ

精神分析に関する最後のセミナー講義録

エーリッヒ・フロム  堀江宗正/松宮克昌 訳

フロムの最も重要な遺稿。その精神分析の方法論を初公開。

聴くということ
書籍
定価:
2,750円(税込)
ISBN:
978-4-476-03316-8
体裁:
四六判ハードカバー
ページ数:
382ページ
発刊日:
2012年9月21日
在庫状況:
在庫あり

[目次]
編者序文 ライナー・フンク
 セラピストとしてのフロム
 精神分析に技法(テクニック)は存在しない
 本書の構成


第一部 分析的治療において患者に変化をもたらす要因
 
第一章 ジグムント・フロイトの考える治療をもたらす要因と私の批判

 終わりある分析と終わりなき分析
 自我の強化
 本能的欲動の飼いならし
 体質的要因の重要性
 フロイトの機械論的モデル
 無意識的現実の暴露
 古代的情念の戦い―固着・破壊性・ナルシシズム
 エロスとバイオフィリアへの依拠


第二章 良性神経症と悪性神経症―良性神経症の症例

 良性神経症―トラウマによる発症
 メキシコ女生の良性神経症の症例
 トラウマの影響力
 トラウマを過大視することの誤り
 近代社会の病理
 悪性神経症―パーソナリティの核の損傷
 悪性神経症の治療―健康への希求の活性化
 フロイトの方法の限界―幼児化と「心理学的な会話」
 子どもであり、かつ大人であること


第三章 治療にいたる体質的要因と他の要因

 体質的要因の重要性
 生の中で形成される体質的要因
 ルーズヴェルトとヒトラーの違い―生への愛か、死への愛か
 苦しみのどん底に立つこと
 人生のヴィジョン
 患者の真剣さ
 リアルな事柄を話すということ
 神経症が患者の生活環境に適したものとなっていないか
 患者の能動的参加
 分析者のパーソナリティ―心理探求の姿勢と共感能力
 予後を見極めて対処をする



第二部 精神分析のセラピーとしての側面

第四章 精神分析とは何か

精神分析の目的―自己を知るということ
 
ジグムント・フロイトの治療目標と、それに対する私の批判
 社会的機能の回復を目指す治療
 トラウマの過大視
 
フロイトの子ども概念とそれに対する私の批判 
 フロイトの政治的態度―中産階級の改良主義者
 誘惑説の放棄の意味―親の擁護
 フィクションとしての「親の愛」
 子どもの気質の考慮

治療プロセスにおける幼児期の体験の意味
 フロイトの機械論的前提
 過去の原因より現在の状態

治療の実践と精神分析の現代的意味
 本能主義と環境決定論の組み合わせ
 大衆にとっての精神分析―スキナー主義的理解
 
ハリー・スタック・サリヴァンの果たした精神分析的人間観念への貢献
 サリヴァンの病院改革―患者を人間として扱うこと
 サリヴァンの統合失調症理論

この時代の病―精神分析の課題としての
 治ればよいのか
 精神分析が効果的だった症例―ある女生の強迫観念
 現代の「世紀の病」―不定非訴と性格分析


第五章 セラピーによる治療の前提条件

心の成長の能力
 理性・合理性の意味―成長をうながすということ
 合理的な本能と非合理的な情念
 
個人は心を成長させる責任を持つ
 フロイトの意義―道徳性と責任の拡大
 発達のための条件―生きる技を学ぶこと
 自分自身になるということ

自分自身を通して現実を体験する能力
 操作的な現実判断と主体的な現実判断
 主体的な認識能力を失った現代人

社会と文化の整形力
 社会的性格の類型
 性的行動への社会・文化的な影響

心的発達のダイナミクスと人間の自由
 二者択一的決定論
 チェスの例
 ジョニーの例―失敗の積み重ねによる自由の喪失


第六章 セラピー的効果をもたらす諸要因

 自由の増大―真実の葛藤を見つめる
 抑圧や抵抗からエネルギーを引き上げる
 健康への生得的希求の解放―真実への直面によるエネルギーの動員


第七章 セラピー的関係について
 
分析者と非分析者の関係
 社会学的相互行為概念の形式性
 相互に能動的な関係―フロイトとロジャーズへの批判
 聞こえたことを言う―知性化と解釈の否定

分析者の前提条件
 すべての人間的体験に開かれていること
 批判的理性の必要性

患者を扱うこと
 可能性への信頼
 フロイトに見る「人間への関心」
 報酬とグループ・セラピーへの批判


第八章 精神分析的過程の機能と方法
 無意識のエネルギーを動員し選択肢を示すこと
 昇華、充足、もしくは性的葛藤の超克
 抵抗の認識について
 転移、逆転移、現実の関係
 夢を扱う分析作業に関する所見


第九章 クリスチアーネ―セラピー的方法と夢理解についての所見を含む一症例

最初の三回の面談と第一の夢
 問題を切り離す語法―「持つ」ということ
 問題を神秘化し、定型的に解釈するフロイト派
 「最大の解釈」より「最適の解釈」―夢の中心的メッセージのみを解釈する
 自由連想は必要か―フロイトの知性偏重

セラピーの二カ月目と第二の夢
 幼児性との直面―率直な指摘の必要性
 母の人間への無関心―娘の不自由
 夢のリアリティ―意識の虚構性

翌月と第三の夢
 人間への無関心、判断力の欠如
 孤独と不誠実な冷笑主義
 遺棄不安と存在感の欠如
 生の展望と理念―人生を使って何をするか
 私生活に限定された関心―趣味の無力さ
 視野を広げ、生を導く文化の富

四つ目の夢と、このセラピーに関する一般的な考察
 親からの解放、革命としての成長
 人間の解放のための分析、教育
 質疑応答―成長への抵抗としての失敗


第十章 近代の性格神経症を治療するのに特化した方法

自分自身の行動を変えること
世界に関心を広げること
批判的に考えることを学ぶこと
自分を知り自らの無意識に気づくこと
自分の身体に気づくということ
集中し瞑想すること
自分自身のナルシシズムを発見すること
自分自身を分析する


第十一章 精神分析的「技法(テクニック)」―あるいは耳を傾けるという技(アート)

訳者解説―総合的理解のために

 一、フロムの人間論
  人間と生のリアリティ
  関心―間に存在するということ
  関心の喪失と回復

 二、聴くという技―生を活性化するために
  「技」「芸術」「技術」「技法」の意味的差異
  セラピーにおける聴くということ―感情移入、追体験、人間としての連帯
  視覚優位の近代社会
  見るよりも聴く
  「取るに足りないおしゃべり」と、集中、静寂、瞑想
  批判的思考、二者択一的決定論―生か死か
  健康への生得的希求、バイオフィリア(生命愛)

 三、精神分析論
  内なる幼児と大人とを直面させる非権威主義的なセラピー
  フロイトの時代
  自己分析への転換
  精神分析の目的―パーソナリティのスピリチュアルな変化・仏教・マインフルネス・自己知・気づき

 四、身体論、技論
  断念分析の提唱―フロムの精神分析の実戦性・修行的側面
  身体論という視点―能動性と受動性と技
  心身相関論―能動性と受動性の統合を回復する受動性―気づき、耳を傾ける
  フロム理論の展開への位置づけ―権威主義批判、社会的性格、技論のつながり

 五、フロムを現代に生かす―批判への応答から
  二分法的思考
  本質主義的思考、恣意的独断にならないか
  抽象的理想論
  訳出の作業に関して

訳者あとがき

文献
 

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